マックス・ブロートは,現在では単にフランツ・カフカの親友,遺稿の管理・出版者,伝記作家としてしか知られていないが,カフカの生前には,彼よりはるかに有名な作家・思想家・音楽家であった。二人の知名度が逆転するのは,カフカの死後30年以上も経ってからのことである。この論文は,自明すぎて,かえってまとまった考察の対象となりにくいカフカとブロートの友情の成立を,四つの段階に分けて考察していく。1)ブロートのショーペンハウアー講演の際のカフカとの出会い(1902年)2)カフカの親友ポラークとの別れ(1904年)3)カフェー・ルーブル事件(1905年)4)ブロートの親友ボイムルの死 (1908年)
Rettung der Manuskripte
Brentano-Schule in Prag
A. Marty und Chr. Ehrenfels
Louvrezirkel
Entstehung der intimsten Freundschaft