過去57年間(明治32~昭和30、但し、第二次大戦中から戦後にかけての昭和19~21を除く)に於ける本邦癌死亡率を疫学的な立場から、生物学的現象(性別、年令階級別、部位別)、時間的現象(すう勢変化、年次的変動、季節変動)及び地理的現象(地域的差異)の3現象に就て厚生省、総理府統計資料並に諸家の研究業績資料から、統計的に総合的に観察詳述せるところを要約すれば、次の如き事実が認められる。1.生物学的現象 (1)過去35ヶ年間(大正9~昭和30)に於ける本邦全癌死亡率を性別、年令階級別に観れば、半対数グラフ上で男女共に青年期以後一般に死亡率が年令の長ずるに従って、直線的に上昇しているが、高年齢になる程、死亡率の上昇度を減じている。男子よりも女子に於て斯る傾向が特に顕著である。但し、女子の年令階級別死亡曲線が逐年男子のそれに近似し、男女間の差異がなくなりつつあることが特に注目される。以上の諸事実は、本疾患が一般に老衰現象的素質的因子を有する外に、更に新な何等かのStressの加わることによつて実現するものなることを示唆するものと解される(第1・0~1・2図参照)。 (2)本邦に於ては、諸外国に比して、消化器癌の死亡率が圧倒的に高く(男子:全癌死亡の80%以上、女子:54%以上)、性別、年令階級別に観た死亡曲線が、青年期以後年令の長ずるに従って、直線的に上昇しているのも消化器癌に於て特に著明である。尚又、消化器癌の死亡率が近年特に増加し、このことは女子よりも男子に於て著明である。そこで、本疾患が果たして、環境性疾患としての素質的因子を有するとすれば、それは先ず消化器癌に就て実証されなければならないであろう(第1・3~1・4図参照)。 2.時間的現象 (3)過去57年間(明治32~昭和30)に於ける本邦全癌死亡率のすう勢変化を観るに、男女共に同様の傾向を示し死亡率が抛物線的に増加せる時代(明治後期~大正末期)と直線的に増加せる時代(昭和1~17)、直線的に減少せる時代(昭和18~21)及び直線的に急増せる時代(昭和22以降)の4時代に大別される。但し、その間に於ける年次的変動は、死亡率が増加せる場合も減少せる場合も、男子が女子よりも稍顕著である(第2・0図参照)。(4)過去56年間(明治33~昭和30)に於ける全癌死亡率の年次的推移から、すう勢変化を除去した年次的変動を見るに、周期性を想わしむるが如き規則的な変動は認められず、明治33年以降大正の末期にかけては、変動の振幅が逐年減少し、昭和の初期から近年にかけて再び変動の振幅が逐年増加の傾向にあることが看取される(第2・1図参照)。(5)過去57年間(明治32~昭和30)に於ける全癌死亡率の季節変動(月別死亡率)の年次的推移を通覧するに明治32年以降大正末期にかけて変動の振幅が逐年増加し、昭和の初期から近年にかけて、変動の振幅が逐年減少し、最近では左程の季節変動が認められなくなっている。要之、本症死亡率を疫学的に観た場合、時間的現象と環境的諸要因との間に、或る種の関係あることが推論され、時間的現象の中でも特にすう勢変化を支配せる要因が重大なる意義を持つものの如くである(第2・2図参照)。 3.地理的現象 (6)本邦に於ける都道府県別に観た全癌死亡率の地域的差異は、明治、大正、昭和の3時代を通じて、大勢に於て左程急激に変動することなく、可成り大幅な地域不変動性が認められる。但し、近年に至って地域的差異が緩和される傾向あるのみならず、北関東、東山及び北陸の一部諸県に於て、近年特に死亡率が増加せる傾向が認められる等、地域移動性も少なくない(第3・0~3・1図及び第3・0表参照)。 (7)本邦に於ける都道府県別に観た消化器癌死亡率の地域的差異は、全癌死亡率の地域的差異と略一致し、地域差の不変動性は、全癌よりも消化器癌に於てより顕著である。而して、このことは男女概ね同様である(第3・2~3・3図、附表1~2参照)。(8)本邦に於ける都道府県別に観た女性器癌並に呼吸器癌死亡率の地域的差異も亦、全癌死亡率の地域的差異と概ね一致しているが、地域的差異の時代的不変動性は消化器癌ほど顕著でない(第3・4図、第3・0表及び附表1~2参照)。(9)本邦に於ける都道府県別全癌死亡率の地域的差異を性別、年令階級別に観れば、相対的にみて、40才未満の死亡率は地域的差異が区々で必ずしも一致せず、40才以上の死亡率は各年令階級とも概ね同様の地域的差異を示し、男子では向老期(40~54才)、女子では向老期(40~49才と共に老年期(60~79才)の死亡率の地域的差異が特に顕著なることを特徴とする。而して、この場合も亦、各年令階級とも一般に男子が女子よりも地域的差異が顕著である(第3・5図及び第3・1表参照)。(10)要之、本邦に於ては、男女共に消化器癌就中胃癌が圧倒的に多きことを特徴とするが、本症死亡率を疫学的に観れば、地域不変動性が顕著である外に、生物学的現象より観ても、時間的現象より観ても、或る種の環境要因との関係が少なくないことが推論される。尚本論文要旨は山口県立医科大学医学会代7回総会(昭和30年6月)並に第27回に本衛生学会(昭和32年7月)に於て発表した。