近代日本の中国語教育は唐通事時代1を受け継ぎ「南京官話2」から発足した. 1876年(明治9年)から「北京官話3」に転換した. それに応じて, 官立, 私立のさまざまな形の中国語教育機関が生まれると同時に, 必要となる北京官話教科書をはじめ学習参考書も次々と出現した. 『清語会話案内』は西島良爾によって1900年に出版された北京官話の教科書である. 本論は『清語会話案内』の成立と中に収められている言語に関して論証したものであり, その成立に際して『華語跬歩』を踏襲したことを実証した. 言語の面では, 『清語会話案内』は北京語を標準とするとの見通しに基づいて, 中国清末北京語の実態に焦点をあて, 先行研究の関連成果を概観しながら, 当書からみた新しい表現を検討し, 程度副詞など中国清末の北京語の特質の一斑を新たに探ってみ, いくつかの用法を補充し, ある言い方は北京官話の他の資料にあっても実際には南京語に属するのではないかという疑問を提出した. また, 誤訳に触れ, 日本人の中国語に対する認識不足についても指摘した. 最後に, 西島良爾は中国語教育と中国語研究に取組んでいたことから, 中国語を実用語学としながらも, 言語学の研究対象ともする中国語観を持っていたと結論した.