雪舟は山口ゆかりの画家であり, 画聖と呼ばれている. 中国では雪舟は中国留学した日本の画聖としてよく知られている. その作品を見れば, 中国の院体画の影響を見出すことができる. したがって, 中国への絵画留学は雪舟の絵画創作にとって重要な役割を果たしている. これらのことを断片的に指摘している従来の研究を踏まえながら, 本稿は天・地・人という三つの面から総合的に雪舟の中国留学を考察し, その役割と位置づけを明らかにする. まず, 天という面では, 雪舟が中国に留学できたのは当時の日中交流の展開, 特に日明の貿易が栄えていたという時代に恵まれていたという点である. そして当時の明では画院及び院体画が宋の時代に次いで再び盛んとなったことにより, 彼は中国の伝統的な院体画を学ぶことができた. 次に, 地という点から見れば, 長く滞在した寧波のあたりは宋の絵画が受け継がれていた地方である. 寧波から北京の旅により, 雪舟は地理上の中国山水を遊歴することができた. この体験は彼に中国山水画の神髄をその根本から理解し, 彼の山水画の創作を成功させた大切なポイントになる. また, 人的な条件で言えば, 禅僧という身分は雪舟を中国の文人や画家たちと自由に交流させ, 彼にとって当時の中国の画壇や中国画の創作などについての理解を深めさせた. そして, 帰国後の雪舟は, 大分と山口で天開図画楼を建立したり, 晩年までも引き続き絵画活動を行っていた. 中国留学で学んできた水墨画の技法や構図などに加え, 雪舟は最終的に独自な境地を開いた. したがって, 雪舟の中国留学は彼の絵画創作において不可欠な要素として位置づけられる.