『源氏物語』に登場してくる六条御息所は, 物の怪という怪異現象と関わりを持つこともあって, その性格造型は気性の激しい印象を与えるものとなっている. 『源氏物語』の中で, 光源氏を主人公とする正編の世界では, その六条御息所の物の怪が, 死霊としてのみならず, 生霊としても現れている. 本稿で注目するのは, この六条御息所の生霊化に関わって用いられてくる「恥」という表現である. 考察を展開する上で参照するのは, 記紀神話に描かれている「恥」である. 記紀神話には, 恥をかいた神が祟りを為すという型の話が散見する. この型の話を手がかりとして, 本稿では六条御息所を“恥をかいた神”と看做し, その生霊化の契機について検討してゆく. 六条御息所の生霊化の背景を探る一視点として, 従来の研究では, 平安時代に発生した御霊信仰との関わりが指摘されてきた. 実際, 物語には, 六条御息所の怨霊化(生霊化), その怨霊の祟り, そしてその怨霊に対する鎮魂という, 御霊信仰の生成過程を窺わせるプロセスが描かれてもいる. 本稿ではこれを踏まえつつ, 特に最後の段階となる鎮魂について, 再検討を図ることになる. 注目するのは, 「葵」巻に現われてきた六条御息所の生霊が, 光源氏と対面した際に, 自ら「魂結び」を要求している点である. これを本稿では封印と解する. 続く「賢木」巻において, 六条御息所は都を離れて伊勢へ下向する. これは, 娘である斎宮に同伴しての下向となる. 斎宮は, 天皇の代理として伊勢へ赴く, いわば国家最高位の巫女である. 本稿では, そういった斎宮の, 巫女としての象徴性から窺える機能についても検討を加える. そして, その象徴的機能を, “祟り神としての天照大神の鎮魂と封印”と解せる可能性について論じる. 以上の検討を踏まえ, 本稿では, 六条御息所の生霊化に限定されるのではなく, 伊勢下向をも含む範囲で御霊信仰の生成過程が物語の文脈に構造化されていることを明らかにする.