戊戌変法前における梁啓超の民権思想は, 総じて, 学校を興すことによって民智を開く時期と, 民智の開明を通して民権を伸ばす時期という二つの時期に分かれる. 前者は梁啓超が上海で『時務報』の主筆として務めた時と言っていいが, 後者は主に湖南時務学堂の総教習として赴任していた時期と言うべきである. 『時務報』時期において, 梁啓超は民権に関して, ただ端緒を紹介しただけで, あまり公言しなかったが, 湖南時務学堂の主講として赴任して以来, 民権に心酔するようになった. それのみならず, 彼は大胆に湖南巡撫陳宝箴に湖南の自治を進言し, 民権の伸張を湖南で具体化する方策を論じた. 「今日中国を論ずる者は必ず民権を興すと言う, しかし, 民権は旦夕でできることではない. 権は智より生ずる」と述べているように, 梁は民智を開くことを今日の第一義だとしている. こうして, 梁啓超は地方の有力官僚に働きかけるだけではなく, 民衆の啓蒙や人材の養成にも相当力を注いだのである. 戊戌変法前における梁啓超の民権論が, その端緒の紹介から, 民権への心酔へと変化を示しているが, その中で終始一貫しているのは, 民智を開くことを第一と見なす視点である. それは戊戌前における梁啓超の民権論の一つの重要な特徴だと言える. 本稿では, 「民智」を手がかりに, いままであまり体系的に検討されてこなかった戊戌変法前における梁啓超の民権論に焦点を絞り, その民権論の実像と, 民権と君権, 及び国権との関連を引き出すことを課題とする.