「麦と兵隊」は、別名「徐州会戦従軍記」のごとく、火野葦平が一九三八年の徐州会戦への従軍体験に基づいて書いたものである。同作は日記体という形式を取り、五月四日に始まり、同月二二日をもって終わっている。従来の研究において、火野葦平がこの作品を通じて日中戦争に協力した戦争責任があるという論調と、彼はひたすら「民衆」を描いていることで反戦思想を告白しながら軍国主義の犠牲者になったという評価が並行しており、両者の間には乖離が見られるのだが、その乖離をどのように埋めていくかが本稿のモチーフである。そのために、本論では、まず作品に出てきた中国人像に着眼し、それらをその文脈に即しつつ綿密に分析することにより、戦場における作者の中国人観の貧弱さ、彼がそのような「異民族」表象を通じて日中戦争に加担してしまったことを検証する。しかし、だからといって、その記述が庶民的な視座を持っていることとは、決して矛盾しない。戦争に協力したとはいえども、作家の主体性が根こそぎ失われたわけではない。それを証明するために、作中に出てくるいくつかの場面に焦点をあてて論じていく。最後に、「麦と兵隊」には、一見対立しているように見える二面性が併存しているのだが、それを同じ創作方法、すなわち同じ「ありのまま」の表れとして統一的に把握する必要があるというのが筆者が論じたいところである。