「陛、天子階なり。(陛、天子階也。)」(『玉篇』)先秦時代における「陛」は天子専用の施設ではなかったが、秦漢時代に入り、「陛」は皇帝と関わる空間にのみ設けられる「天子階」となった。それと共に、複雑になり、多様化した。古代中国の儀礼空間のなかで、階を通して身分を区別し権力を強調する。その階は間違いなく見過ごせない研究対象である。そのため、秦漢時代の皇帝制度を理解するには、皇帝と関わる「天子階」(陛)を検討する必要がある。本稿は空間という視角より、「天子階」(陛)という施設に着目し、秦漢時代における「天子階」(陛)はどのような構造があったか、どのような機能を持っていたか、どのような特徴があったか、どのように変遷してきたか、という問題について検討する。史料に基づき、考古学の発掘調査の成果を合わせて分析した結果は、秦漢帝国の「天子階」(陛)は「墄」・「平」両陛の特徴を持ち、「重軒三階」および二十七級で設けられ、「堂塗」で「陛」・「廷」空間を繋ぎ、「周旋」的な空間を築いたものである。後世の朝廷における「陛」に影響を与えた原点となったといえる。この「天子階」は皇帝の身分と「権威」を強調し、秦漢帝国の天子制度・官吏制度を表現した。しかも、秦漢時代の「階級」意識もこの空間構造で表現された。これは空間という可視的な次元において、中国の皇帝制度を象徴的に表現するものであった。