川端康成の掌編小説集『掌の小説』の冒頭には「骨拾ひ」という作品が置かれている。これは、川端が十六歳の時に経験した祖父の死とその葬送の様子を描いたものである。従来、この「骨拾ひ」については、それが十六歳の少年によって書かれたものであるという執筆事情をめぐって論議される傾向にあり、表現や構成の完成度などをもって川端文学の始発とも位置づけられている。また、その主題については、孤児の悲哀、祖父との訣別、生と死の問題などが指摘されてきた。これらは概ね主人公である「私」の内面劇として悲哀や訣別といった心的機制を読み取るものと言える。祖父との訣別という主題を読み取ることについては論者も同様の立場である。但し本稿では、そういった訣別を促す機制が「私」を取り囲む外的環境の中に、即ち「私」が経験していく葬送儀礼の一連のプロセスの中にこそ見出されると考えている。それを論じる方法として、まずは儀式をかたどる表現群の中に神話的表象を読み取り、この作品が神話的構造によ って組み立てられていることを検証することになる。注目すべきは、その構造が、川端の書いた『葬式の名人』などの他の類似作品からは読み取れないということである。本稿では、その神話的構造に則って「私」が祖父と訣別し、自立していく様相を読み取ることになる。試みにその神話的構造をプロットとして示せば、ほぼ次のようになる。①生死の均衡した状態(=未分化な状態)から、死者の世界へ赴く;②死者の世界で、生前とは変貌した肉親の姿を見る;③死者の世界の住人たちからの逃走;④境界領域における闘争;⑤境界領域に生死の世界の境界となる指標を樹立する;⑥未分化だった世界が〈死者の世界/生者の世界〉として分節される。以上のプロットについて考察しつつ、「骨拾ひ」がその中で表現しているものについて、究明することになる。