『地下室アントンの一夜』は尾崎翠の他の小説と共通の人物が登場するため、従来の研究では、他の小説との関連の中で検討されてきた。しかし、『地下室アントンの一夜』を他の小説と切り離して独立した作品と捉えた場合、従来の研究で作品理解の前提とされてきた精神病のモチーフから離れることが可能になる。本稿では、語り手「僕」(詩人土田九作)の心的病状に関心を絞るのでなく、詩人の創作上の危機に焦点を当てて論じてみたい。本小説の大きい特徴は、小説の大部分でお互いを語り合い、身の周りの物事を語る「僕」(詩人土田九作)と「余」(動物学者松木氏)という二人の語り手が小説の最後の一節で地下室に降り、初めて直接に対話することである。この「対話」によって、詩を書けない危機にあった詩人「僕」は詩を書けるようになる。本論では、詩人の「詩を書ける」状態と「詩を書けない」状態の各々の状態についてその特質を明らかにし、地下室で開かれた「対話」が、詩を「書ける」ようになるという詩人の変化にどう関わっているかについて論じると同時に、人間の生における「対話」の意味について考察したい。