本論文は、「阿Q正伝」の登場人物の思想について、魯迅の寓話「賢人、馬鹿、奴隷」(1925・12、『野草』)の登場人物の思想との関連の下に考察するものである。「賢人、馬鹿、奴隷」の「奴隷」は、生活に不満があっても「賢人」の言葉によって慰められ、それによって「主人」への不満が解消される。「賢人」の行動は、主人に対する「奴隷」の従属と忠誠を補強する。そのような行動によって彼は「賢人」と呼ばれる。それに対し、「馬鹿」は実際的に「奴隷」を助ける行動に出るのだが、そのことによって彼は民衆(「奴隷」たち)から支持されるどころか、逆に「馬鹿」と呼ばれ、迫害される。「賢人、馬鹿、奴隷」は、「主人」による民衆支配を実質的に補強して、「奴隷」を「奴隷」たらしめる「賢人」が尊敬され、逆に「奴隷」を実際的に助けようとする人間(「馬鹿」)が迫害されることを描いて、当時の中国の現実を戯画化している。「阿Q正伝」の舞台である未荘では、村人は趙旦那を頂点とする封建的支配体制(「主人」)のもとにあり、その身分に従うことが阿Q(「奴隷」)の行動規範となっている阿Qはこの規範の中で打撃を受けたときには、精神勝利法(「賢人」的行動)によって自己欺瞞をする。しかしまた、時には、阿Qの言動はそのような規範に抵触し、それを逸脱する傾向(「馬鹿」的行動)を含んでいる。例えば、それは最期の時、阿Qの抵抗から出た言動があり、彼自身が封建的身分制度への批判や反抗を明確に自覚しているわけではないが、しかし客観的にみれば彼の振舞いは封建的支配体制への批判の萌芽を含む。そのような意味で、彼の言動には歴史的社会的な意味が認められる。そうした「馬鹿」的行動は村人(「奴隷」)から非常識として批判され、排斥され、遂に阿Qが処刑されて当然とされる。阿Qの人物像とその運命には、明らかに「賢人、馬鹿、奴隷」に通じるものを見て取ることができる。「阿Q正伝」は、阿Qの悲劇的運命を通して、当時の中国の封建的体制の変革が困難であること、国民性の改革が困難である現実を、痛烈な皮肉の下に描き出していると言える。