合唱の歴史は極めて古く,音楽の起源に一致するとも考えられる(1)。グレゴリア聖歌や中世世俗歌曲といったものは,はっきり音の形が再現されうるのであるが,これら以前の古代においても合唱が存在していたことは今日明らかとなっている。またベートーヴェンの交響曲第九番における合唱はだれしも一度は聴いたことがあるだろうし,更に目を転じてみるとインドネシアで演奏されるケチャのような存在も合唱の形態だと言える。このように合唱の歴史と広がりは非常に広範である。それだけに音楽における合唱の位置は重要であり,それゆえ音楽教育においては合唱はアンサンブルの基本経験として位置づけられ,プリミティブな形態による表出の場として本来は音楽教育にとって有用でもある。実際に今日の日本においては児童から成人まで様々な団体によって合唱活動が行われ,中には国際コンクールで上位入賞を果たす水準を待った団体が幾つもあるほどである。しかしながら我が国の合唱界においては,いたずらに難易度の高い合唱曲が好まれる傾向さえあったし,合唱曲の多くは作曲家自身の芸術的希求のもとに創作され教育的視点が二の次にされるという傾向があった。これらの結果,遺憾ながらも学校音楽の教材としての合唱にはまだまだ未開拓の部分が大きく残されている。このことは作曲界の責任であると同時に多分に教育界の責任でもあり,具体的には教育実践に関わる教育者一人一人に帰する問題である。カラオケが大勢の人に好まれ,街の中を歩けば音楽が聞こえてくるのではあるが,合唱は未だ国民共有の文化となりえてはいないのが現状である(2)。子どもたちが自分の思いを文章に書き記すことによって一種のカタルシスを得るのと同様,自分の思いを歌に託して友だちと一緒にハーモニーさせることができれば,どんなにか楽しく,心が満たされることであろう。拙論では学校合唱の指導者に求められる基本的態度と指導に際して