文化のグローバル化が進む中で国家がその自国文化への影響をどのようにコントロールできるのかは、いまだに解明されていない問題である。この論文では、この問いの解明に向けて貢献すべく、一つの事例を提供することを試みる。この目的のために、本論文は、近代化以前の音楽文化を近代国家にとって望ましい形に変えようと試みてきた、日本の学校における音楽教育に焦点を当てる。本論文は二つの部分から構成される。はじめに、日本の学校教育においては音楽に対してどのような政策がとられてきたのかを論じ、望まれてきた音楽文化とはどのようなものなのかを明らかにする。2008年に告示された新しい学習指導要領で試みられた主な改善事項の一つに「伝統や文化に関する教育の充実」があり、音楽においても実施が求められている。その一方で同学習指導要領においても音楽教育の主流にあるのは西洋音楽の普遍性を身につけることである。この西洋音楽の普遍性をもつ日本の音楽文化の創造は、明治以来目指されてきたことであり、日本の音楽文化には伝統音楽と西洋芸術音楽の理論に基づく日本人の作品の両方があるのだという主張は、1970年の『中学校学習指導書』での日本の音楽文化の説明によく現れている。2008年の改善事項には、このバランスにおいて伝統音楽の面が弱くなっているという解釈があるものと思われる。しかし、政策分析からでは、このような方針のもとに行われてきた学校教育が、実際に日本の音楽文化にどのような影響を与えて来たのかを知ることはできない。そこで、視点を政策を受け止める側に転じ、戦後の学習指導要領の分析から得られた日本の音楽を表す3つの表現「わが国の音楽」「日本の音楽」「郷土の音楽」に「好きな音楽・よく聴く音楽」を加えた4項目からなる質問紙調査を実施した。本論文後半は、この山口県内で実施された人々の音楽認識に関する質問紙調査の結果について述べる。最後にこの事例研究の結果を総括したうえで、残された研究課題を示す。