本稿の目的は、文芸雑誌『白樺』と関連の深い岸田劉生の美意識に論点をあて、『白樺』に触発され、感化された岸田の作品の特徴と変化を検討し、岸田の絵画が当時の美術活動に与えた意義を考察するものである。武者小路実篤を中心に刊行された雑誌『白樺』は、明治43年4月に刊行され、大正12年8月まで13年5ヵ月間刊行された全160冊の文芸雑誌であり、美術雑誌としても通用するほど積極的に西洋美術の紹介に努めた。『白樺』に意欲的に参加した画家岸田劉生は、『白樺』によって第二の誕生をしたといわれるまでの活躍をしたが、38歳で夭折した岸田の膨大な著書と作品群は、文字通り生き急いだ岸田の生の証ということができるであろう。岸田の一連の作品「麗子像」は美術の教科書にも掲載されているため、大部分の人が一度は目にしているであろうが、岸田特有の絵画表現になじめない場合もあるので、作品に対する理解を深めるためには、岸田自身の美意識を根底から探り明白にする必要があると考えられる。本論文の第1章では岸田劉生についての先行研究を検討し、岸田の生い立ち等の紹介を行う。第2章では、岸田が『白樺』に出会って武者小路をはじめとする同人たちと交流し、後期印象派の作品に影響を受けたことによる岸田作品の表現様式の特徴、展開を明らかにした。第3章では、岸田が『白樺』に影響されながら確立した独自の美意識を検討していく。第4章では、岸田の美術活動と文筆に注目し、東洋へと回帰していく岸田の表現様式を検証した。第5章において岸田と白樺派の関わりが、当時の美術に与えた意義を検討して本論を総括する。