中国に於いて,今まで『源氏物語』に関する翻訳検証研究を厳格に行った学者は殆ど居ない. その原因を探ってみると,二つある. 一つは,功利性を求めるあまりに日中両言語の対比論証に分け入らず,翻訳者を大雑把に評価し,翻訳作品に少し目を通しただけで批評を済ませてしまうからである. 二つ目は,『源氏物語』の翻訳検証研究の難易度が高く,研究期間も長期に及ぶからである. 本稿では,『源氏物語』に関する翻訳検証を目的とし,特に『源氏物語』における和歌の翻訳を例としながら,(1)翻訳理論と翻訳実践のパラドックス;(2)翻訳検証研究の学術性とリスク;(3)『源氏物語』和歌翻訳のジレンマ;(4)豊子愷,林文月,姚継中,各氏の翻訳した和歌の比較検証といった四つの面から,『源氏物語』に関する翻訳検証研究の必要性及び実行可能性を論述する. 『源氏物語』の翻訳者として,作者の創作意図と作品の趣きを十全に翻訳しようと努めるのは,当たり前のことのように思われるが,翻訳のプロセスは,実にさまざまな条件によって制約を受けてもいる. 特に和歌の翻訳は,ただ単に「言語→表象→意味」を理解した後に,「意味→表象→言語」へと変換すればよいというものではなく,言語認知,文学認知,文化認知及び言語表現,文学表現,文化表現などを含む複雑なプロセスを介するのである. それゆえ,いくら優れた翻訳者であっても,和歌の翻訳で「信,達,雅」に到達することは非常に難しい. しかし,だからといって我々は「信,達,雅」に到達することを諦めるわけにはいかない. 「信,達,雅」への到達を前提条件としつつ,『源氏物語』にある和歌の翻訳を検証し,その研究成果を学術界に問うというのが本稿の姿勢である.