Journal of East Asian studies

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Journal of East Asian studies Volume 17
published_at 2019-03

Relationship between Chinese paintings and Higasiyama Kai, Hirayama Ikuo, Kayama Matazou

中国絵画と東山魁夷・平山郁夫・加山又造の関連性について
Zhao Zhonghua
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D300017000006.pdf
Descriptions
戦後(第2次世界大戦後)における日中絵画の交流は1970年代頃より盛んに行われてきた。日本画家の代表として、東山魁夷、平山郁夫、加山又造の3人は中国で写生や制作などを行うとともに、個展、教育活動なども実施して、戦後の中国に日本画の新しい状況を伝えていた。そのためか、3人は中国で広く知られ、その絵画やエッセイなどといったものも、紹介されている。さらに、彼らの創作活動や美意識などについても、日本美術に興味を抱く中国の美術作家や研究者たちに注目・分析されている。このように中国に受け入れられた理由としては、まず彼らの日本文化への愛着と確信が挙げられる。戦後、日本画に対しての懐疑的な見解が渦巻き、戦前の旧体制を象徴するものとして日本画を否定する風潮(日本画滅亡論)が強まった時期があった。しかし、この3人をはじめ、日本画家たちは日本文化への探究と再発見を試みることによって日本画を制作し続け、それぞれ独自の画境を完成させた。自らの民族やその文化への愛着と確信は、作品を通して戦後の中国にも伝わってきたといえるだろう。また、これから詳述していく東山魁夷の日中伝統絵画の融合、平山郁夫の仏教と敦煌壁画、加山又造の北宋山水画の革新といった要素を有する彼らの作品は、世界の多彩な文化を取り入れ、融合させる日本文化の特色を示しているともいえる。そうした中で、3人の創作活動にそれぞれで共通しているのは中国の伝統絵画に対する深い敬意と積極的なその吸収である。彼らのこのような他国文化の再創造、技法の再発見は、精神的に、画法的に、中国と中国絵画界に多大な示唆を与え、中国絵画を制作する美術家たちに引き続き注目され続けてきているといえよう。本研究は、1970年代以来の日中絵画の交流を整理し、その交流中に中国で個展も開催した3人の日本画家が中国に受け入れられた理由を掘り下げ、彼らの創作に含まれる中国絵画とのつながりを考察するものである。このことにより、中国絵画と3人の日本画家それぞれとの関連性の様々な様相を明らかにしたい。