周知のごとく、ヘーゲルにとっては「世界史とは自由の意識の進歩」を意味する。ところが、世界史ばかりでなく宗教史もまた「自由の意識の進歩」として概念把握されなければならない。それ故、本稿は自由の理念を観点に取り、そこからヘーゲルの「精神現象学」の「宗教」における三段階、すなわち自然宗教、芸術宗教、啓示宗教をできるだけ統一的に解釈することに努め、さらには「宗教」と「絶対知」の相違点を解明することを意図している。言うまでもなく、第一の自然宗教は具体的にはオリエントのそれであり、第二の芸術宗教は古代ギリシアのそれであり、第三の啓示宗教はキリスト教のことである。ここには確かにヘーゲルなりの宗教史が認められる。そこで、論述のための導きの糸として、それら三段階の動向と特徴とを根本的に規定している三つの思弁的命題が取り上げられる。その理由は、それらの命題を検討することで、各段階の動向と特徴とが概括されるだけでなく、さらに自由の理念の展開が明らかにされると考えられるからである。それでは、それら三命題は何かと言えば、第一に、自然宗教の特徴を規定する思弁的命題は「絶対実在は自己である」と表明される。第二に、芸術宗教の特徴を規定する思弁的命題は、第一の命題の主語と述語とが入れ替わった仕方で「自己は絶対実在である」と言表される。第三に、啓示宗教の特徴を規定する思弁的命題は、さらに第二の命題の主語と述語とが逆転させられ、外見上は第一の命題に立ち返った「絶対実在は自己である」というものである。本稿はヘーゲル哲学における自由の理念の規定、つまり「他在において自分自身の許に在ること」をまず一通り吟味し、その上で上述の三つの思弁的命題を大まかに検討した結果、ひとまず以下のような結論に導かれた。すなわち、第一点としては、第一の自然宗教は「即自的に自由な宗教」であり、第二の芸術宗教は「対自的に自由な宗教」であり、第三の啓示宗教は「即自かつ対量的に自由な宗教」である。第二点としては、自然宗教、芸術宗教、啓示宗教は、世界史の三時代区分、オリエント世界、ギリシア・ローマ世界、ゲルマン世界にそれぞれ対応するものである。第三点としては、宗教は「民族が真理としているものの定義を示す場所」として、それら三世界のそれぞれの国軍と道徳性とを基礎づけるものである。以上のような結論から見て、自由の理念を観点にし、そこから「宗教」の箇所の展開を解釈することは、基本的には間違っていないと思われる。