先端医療技術やバイオ・テクノロジーの進展がわれわれの死生観を揺り動かし、環境問題は別の側面からいのちの危機を突きつけている。また、死の迎え方、老いの生き方、食のあり方といった日常の風景の中でもいのちのありようが問われている。「生命学」は、現代社会におけるいのちのあり方を総体的に捉えようとする試みである。 小論はそうした「生命学」への一つのアプローチとして、デパートの店員に「カブト虫の修理」を頼む子どもの「生き物」感覚の問題を切り口として、都市化や産業社会の論理、さらには一次産業の現場での「生き物」感覚の衰退・希薄化を見ていく。一次産業は「自然条件に依拠して生命を育てる」のを本来の姿としていたが、近代化が推進されていく中で「自然を最大限に効率よく搾取していく」という工業の論理に浸されてきている。 「生き物を物として扱う」近代産業社会の枠組みの中では、家畜や作物をはじめとする人間以外の生き物の生理が侵されるだけでなく、他の生き物のゆたかな生を保証しない殺風景さはやがて人間自身の「生き物」性を損なうことに連なっていくように思える。