本書『近世日本思想の基本型 定めと当為』は、その刊行年月でもある二〇一一(平成二三)年三月をもって山口大学の教授職を退かれた、豊澤一先生の論文集である。本書は、先生の同大学における三十年来のご研究を、総括したものとも言える。大きく二部構成をとる本書は、伊藤仁斎を中心とする近世の儒学者たちの思想を扱った第II部をその核としつつ、第I部では、中世仏教思想(および諸思想とのきりむすび)や中近世における武士の思想を、近世儒学の展開を導いた前提として論じる。 武士道や儒学が「天道」や「天命」として捉えた、世界のありようや人間の死生をつかさどる「定め」は、有限かつ不完全な存在としてある個々の主体にとって、どこまでも見通し難いもの、と受け止められる。かつて仏教的な無常観として捉えられたこの感覚を、近世思想は深く踏まえながらも、しかしその受け止め方をしだいに転じた。有限な自己を不断に超え出ようとする「当為」は、今ここで相対する他者(との出会いと関わり)という問題を正面に押し出しつつ、積極的に模索されたのである。近世日本思想の「基本型」を、本書はこのように捉えた。 とくに武士道を論じた第I部の後半や、儒学を論じた第II部は、以上のような「基本型」の変奏を、多角的に描き出す。しかしながら、それらを見据える著者の問題関心は、一つである。問いは、どこまでも隔絶された非対称な自他が、いかにかけがえなく出会い、出会いの奥にある見通しがたい「定め」を順受し、互いの関わりを全うせんとする「当為」に生き切れるか、という、すぐれて倫理学的なものである。著者は、自己批判や自己超越といったことの可能性を、厳しく問う。しかし他方、日本倫理思想史研究としては、それぞれの思想において捉えられた、具体的な他者性の分析もまた不可欠である。本書はとくに近世儒学に関して、自他の非対称性を、「師弟」という間柄におけるそれへと焦点を絞っていく形で、浮き彫りにした。著者をしてそうさせたものは、出会われる対象(人格としての「師」や「弟」、そしてテクスト)に対する「信」と「疑」双方を足場に、真理を探究する「学び」を実践する者として、著者自身が抱き続けた矜持である、と考える。