中国明代(1368~1644)、南京・北京の両京周辺および国内の各処に置かれ、流通過程にある竹木等の資材の一部を抽取あるいはそれらから徴税した機関を抽分竹木廠という。その中から、『蕪関榷誌』『両浙南関榷事書』という専志を有し、比較的詳しく知ることのできる蕪湖・杭州二廠の業務について、抽取・徴税・監視拠点の配置および到来する竹木の産地を中心に検討し、それらの抽分廠が、嘉靖年間(1522~66)から万暦年間(1573~1620)にかけて、多数の拠点たる廠・関・巡検司・総甲配置地点を有するようになり、その結果、面的な徴税・監視空間を形成したことを明らかにし、さらには、主たる到来竹木の産地(蕪湖は長江中上流域、杭州は銭塘江流域)から主要な交通路である大河川(蕪湖は長江、杭州は銭塘江)を下り、全国的な経済中心地である江南デルタに入る門戸たる位置の竹木流通を把握・徴税する機関であったことを明らかにした。