以上要するに、幕末期の下関商業を分析して、幕藩体制下の問屋資本が幕末期には如何に変化し、明治年代にはどのようにつながるかを検討することによって、幕末期商業資本の歴史的意義を明らかにしようとしたものである。論考の順序にしたがって、その要点をまとめてみよう。1、幕藩体制下の商品経済の発展はそれに照応した幕藩体制的な商品流通網を成立させ、その中継的港町として下関の問屋株を発展させた。2、幕末期の発展は単なる中継的問屋業の拡大ではなくて、西日本及び北海北越の領域経済の発展に基づく直接的な交易関係の進展によるものであり、これに乗りだしたのは伝統的問屋株ではなくて、在方商人層たる地方豪商である。3、在方商人層のもつ進歩性は維新政府に吸収昇華されて、上からの近代化が強制されるに対して、在来の地方交易に結びついた地方的問屋業の抵抗と脱皮が徐々に進行している。4、日本資本主義の発展にともなう外国貿易の進展は、それに対応した貿易港をつくりだし、在来の地方交易を相手とした問屋業は存立基盤を失って転換せざるを得なくなった。要するに、幕末期下関商業の歴史的意義は幕藩体制的商品流通をその内部から動揺させ変化させて、領域経済に基づく新しい商業圏が生成する交易センターとなったことである。しかし、それはまだきわめて未熟なうちに、明治維新となり、明治政府によって進められる上からの近代化政策に抵抗はしても、自ら近代資本主義の発展に即応していく基盤を欠いていた。そして幕末期の在来産業が明治中後期の産業革命により分解され、転換を強制されていくように、下関商業も明治後期には決定的な転換を求めざるを得なくなったものである。