前稿での我々の結論―第二定式は基本定式からそのまま導かれてはおらず、「人格は自体的目的として存在する」(α)との新しい命題を導入した上で、両者から導き出されている―に対立する、別の解釈を見る。 別の解釈は、独自の読解によって、αの定立には基本定式そのものを立てる当の理性ないし意志が働いていることを示すが、その際要となることは、要するに、理性ないし意志の「自律」としてαが立てられていることを見て取ることである。カントにとって人格は既に―基本定式の定立に先立って―それ自身において絶対的価値をもち、また自体的な目的として現存するのではない。基本定式の定立に伴って、そのことの内で、人格はそういうものとされるのである―理性によって、理性自身に対して―即ち「自律」として。その際、この理性の「目的」の自己定立が恣意的なものとならないか、果たして、またいかなる必然性がそこにあるか、が問題の鍵となる。 考察を経ての我々の結論は、問題の解釈は、カントの原文を一部に変更を加えて読んではいるが、我々に第二定式が基本定式からそのまま導かれていることを承服させる唯一の読解を示している、というものである。 前稿での我々の考察と問題の解釈とが突き合わされることによって、双方の解釈の立脚点が浮かび上がらされると共に、我々の考察に対して必要な修正がもたらされる。