本稿は、日本近世の代表的武士道書『葉隠』において、その思想を凝縮したものとみなされてきた「聞書第一」第二項を取りあげ、そこに示された、鍋島武士にとって理想的な戦闘と死のあり方について、考察するものである。当該箇所における想定によると、武士がいざ戦闘に踏み出すか否かを問われる局面(「喧嘩打返」、すなわち私闘と報復がその事例とされる)においては。そそぐべき恥辱こそあるものの、今斬りかかって実際に勝てるという目算もなければ、そもそも今勝負すること自体がもつ大局的な意義のありかも、定かであるとは言えない。しかし武士たる者は、戦闘に対する勝算も評価も度外視し、一刻も早く、決然と刀を抜いて戦うべきだ、とされる。そこにおいて覚悟された死は、敵に斬り殺された場合にも実現し、したがって「腰ぬけ」という評価を免れるが、仮に勝利した場合であっても、切腹というかたちで実現されるべきであった。しかもそれは処罰として与えられる切腹ではなく、勝利の直後にみずから敢行されるものであってはじめて、「恥」なきものとされたのである。自身が必ず死ななければ終わらないということが覚悟され、それが遂行されもした戦闘の相手とは、現実に相対する敵でもありながら、つまるところは、すでに巨大な秩序のもとにある、当世という時代であったとも、捉えられるのではないか。以上のように、理想の鍋島武士による戦闘と死は︑異様な過激さを有しているが、他方で「聞書第一」第二項においては、同じ死の覚悟によってこそ、家職に従事する平時の奉公もまた、「恥」なきものとして全うされるのだ、と説かれていた。そこには、大きな矛盾の存在が予想される。有事および平時を貫く武士の覚悟と実践のありようを究明すべく、その矛盾の深さに目を向けていくことが、今後の課題である。