150余年前の1854年、中日問の人的交流がまだ少なかった時代、中国人羅森は、アメリカ合衆国艦隊のマシュー・ペリー提督の漢文通訳として日本を訪問していたことがある。羅森はアヘン戦争後初めて日本、特に北海道(函館)を訪れ、記録を残した最初の中国文人である。彼は日本において多くの文化交流を経験し、後に香港の英華書院から発行された月刊誌『遐邇貫珍』で近代中国初めての日本見聞録『日本日記』を連載し、幕末の日本を中国に紹介した。羅森は日本開国の目撃者であり、日米会談の参与者でもある。本文は近代中日文化交流の先駆者である羅森の人物像を紹介した。まずは羅森という人物を紹介、次に彼の書いた『日本日記』を通して羅森の目に映った日本像、主に羅森の目に映った「鎖国」の日本と「開国」の日本を分析し、そして中国人の羅森に不思議と思うものをいくつか拾って紹介、最後にまとめることにする。