Journal of East Asian studies

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Journal of East Asian studies Volume 2
published_at 2003-12

Adjustment policy in Chinese textile industry : machinery and equipment adjustment in 1990's

中国における紡織工業の産業調整政策 : 1990年代の設備調整政策を中心に
Cui Yingchun
Descriptions
紡織工業は中国の繊維産業の中核をなす分野として、従来外貨獲得、雇用促進、民生の安定・向上に貢献し、同時に重要な国家財源としても大きく寄与してきた。ところが、1990年代以降、内外の与件変化に対応して、産業調整が紡織工業に対する産業政策の最重要課題として位置付けられ、設備調整がその中で重要な一環としてみなされてきた。本稿は、その実施背景を検討したうえで、政策内容を再整理し、政策の実施効果への再考察を試みた。その結果、「1998~2000年の設備調整政策は、1990~97年より‘量的’な面では成功したが、‘質的’な面ではあまり効率的に行われなかった」ことがあきらかにされた。具体的に、次のような4点が指摘できよう。第1に、1990~97年の失敗と対照的に、1998~2000年において紡機削減計画が数量面で成功したと評価されるが、後者における経営資源の市場退出が不完全であり、削減された紡機のほとんどが休止錘であったため、紡織工業の経営改善に明確に繋がったとは認められない。第2に、設備の老朽化改善と新鋭化の進展が不十分であり、研究開発に関する制度上の要因も加わって、設備の数量的改善が技術水準の向上に繋がらなかったといえる。第3に、1998年以降、紡織工業の経営状況は以前と比べ改善傾向にあったが、同時期の繊維産業と製造業の平均水準に追いつかず、しかも2001年の諸経営指標の後退により、その経営改善が一時的な効果であると疑問視されかねない。第4に、1990年以降、技術水準の低下や労賃コストの上昇により、紡織工業の国際競争力はASEANやインドなどの発展途上国と比べ、競争優位を失ったか、または失いつつあったといえる。また、こうした実施結果には政策それ自体の問題点が関わっていると指摘できる。即ち、第1に、支援措置の実施期間が実質上延長されたことにより、実施過程で競争的要素が完全に制限され、支援措置が政策目標を実現する誘因とはならなかったといえる。第2に、政策内容の不透明さは政策の実施機関を困惑させた一方で、目標実現への積極性を引き出すことができないとみられる。第3に、政府による国有紡織部門への保護は、かえって設備調整の動機づけを与える上で障害となった可能性も考えられる。