Journal of East Asian studies

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Journal of East Asian studies Volume 19
published_at 2021-03-01

The issue of self in [an inquiry into the good] : the relationship over true self and false self

『善の研究』における自己の問題 : 真の自己と偽我との関係を巡って
Tang Lu
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1.35 MB
D300019000002.pdf
Descriptions
西田幾多郎は東洋的思想の地盤の上で西洋哲学を摂取し、「自己」の探求により日本独自の哲学を築き上げた。本稿では、西田哲学の出発点である『善の研究』(1911年)における「自己」の問題を中心にし、「我々の自己」の二つの側面である「真の自己」と「偽我」即ち<直観的自己>と<意識的自己>の関係を明らかにすることを目的とする。従来の研究においては、一貫して「偽我」・「反省」が「真の自己」・「直観」に回収されるという仕方で、両者の「同一的」な側面が提唱されている。しかし、本稿では、『善の研究』において両者の「同一的」な側面があるのみならず、「矛盾的」な側面が萌芽的に含まれている点についての解明も試みる。それにより、西田哲学のその後の展開に繋がる萌芽を取り出すことを目指す。第一章では、「純粋経験」の立場と論理が論じられる。まず純粋経験の性質を考察して、純粋経験の正体は「独立自全の純活動」または「統一的或者」の「自発自展」であることを明らかにする。次に、「純粋経験」の立場が「独立自全の純活動」の立場であると論証し、その論理を解明する。第二章では、「我々の自己」に焦点を絞り、我々の自己の矛盾的構造─自己が意識している間はどこまでも「偽我」であって、その根底に働いている「真の自己」を知らないこと─を解明する。そして、「偽我」から「真の自己」への転換を明らかにして、「真の自己」に還帰した後、個人・<意識的自己>と神の関係を考察する。第三章では、自己のあり方の転換に基づいて、「独立自全の純活動」における「直観」と「反省」を再検討し、両者は<矛盾的かつ自己同一的>な関係にあると論証する。そして、「直観」と「反省」の関係により、「真の自己」と「偽我」には「同一的」な側面があり、同時に「矛盾的」な側面もあることを確認する。それによって、「真の自己」と「偽我」の<矛盾的かつ自己同一的>な関係を明らかにする。