Journal of cross-cultural studies

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Journal of cross-cultural studies Volume 14
published_at 2020-03-31

On the Xin (Mang) emperor's new era, ascension and founding declaration

試論新(莽)皇帝之改元、即位與建國宣言
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本論は古典において王莽が「新」帝国を成立させた史蹟に関して記載がある乖離をクリアしたいため、主に新(莽)皇帝における改元の時間、即位の空間および建国宣言の内容等にある不明点をめぐって論考するものである。その旨にしたがって本論では先ず「正統」を持論した史学家に改竄された史料を更訂しながら、今日辞書類の書物に曖昧にされている「始建国元年」の開始及び終了の日付は、一般に知られる紀元9年1月1日~12月31日ではなく、正しいのは紀元9年1月15日~10年1月4日であることを明らかにした。更に本論は新(莽)皇帝の即位空間について考証を加えた。その結果として、一つは前漢時代にある13人の皇帝に関する即位空間の史料をまとめて検討して、昭帝以前の即位空間は基本的に祖廟にあたったが、昭帝以降の即位空間はみな「柩前即位」という死君のお棺の前、すなわち朝廷内の未央宮を場所とする特徴を明らかにした。前者は「近古」の制、後者は『公羊伝』の今文説を採用したことである。それに関連して王莽の即位空間は高廟にあたり、未央宮は彼が建国する礼儀空間にあたることもわかった。そして、なぜ王莽は自分の即位場所を未央宮ではなく、わざわざ政権を奪った相手の前漢王朝の高廟を選んだか分析した。客観的な原因は王莽が平和的に政権交代を実現したので事実上、死君の「柩前」がそもそも存在しなかった一方で、彼が未央宮ではなく「高廟」を選んだら倒れた王朝の初代目皇帝の威霊から政権を「禅譲」してもらおうという主観的な狙いがあったと考えられる。最後に、本論は『漢書』の著者が「王莽伝」に建国式典に関する記載に使っている「読策」「莽曰」「又曰」など一連の慣用語を活用して、王莽の建国宣言の復元を試んだ。そして旧皇室の配置・閣僚の任命・中央官僚の人事・封国制の改革・黄帝の祭祀システムの建成・新貨幣政策等の六つの宣言内容が記録された重要な史料を発見した。