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A study of imperial gateways (闕) in ancient China

Journal of cross-cultural studies Volume 14 Page 60-72
published_at 2020-03-31
C120014000006.pdf
[fulltext] 1.73 MB
Title
古代中国天子「闕」考
A study of imperial gateways (闕) in ancient China
Creators Nie Ning
Source Identifiers
Creator Keywords
「朝」空間 古代中国
「朝」空間の天子「闕」は、「尊卑を明らかにする装置」として、「政治的権威の象徴」として、法令を公布する「政治的な」施設として、数千年間使用された。本稿は、古代中国(唐代まで)の天子「闕」の建築場所、建築様式、名称およびその変遷を究明するものである。周の天子「闕」は、宮城内の雉門外の両側に設置され、「両観」・「象魏」とも称されたものである。秦の天子「闕」は高大という特徴を持ち、君主の身分を強調する機能を果たしていた。前漢の「東闕」・「北闕」は宮城の北垣と東垣に設置され、後漢の「司馬闕門」は宮城の四方の垣に設置された。魏晋南北朝に至り、天子「闕」は「凹型」の様式で建築され、宮城の正門にのみ設けられた。北魏以来、「凹型」の様式は天子「闕」の建設モデルとして後代(隋・唐・宋・元・明・清など)に採用された。そのうえに、「観」・「観闕」・「象魏」とも称された魏晋南北朝の天子「闕」は、隋唐時代において、「観」・「門」・「楼」・「門楼」・「閣」と呼ばれ、闕の名称を失ったのである。周代から唐代までの天子「闕」の変遷は、周の礼の台頭、秦の皇帝のアイデンティティの強調、前漢の礼制の不完備、後漢の礼制の重視、魏晋南北朝と隋唐の周礼の強調、という各時代の特徴を反映していた。
Languages jpn
Resource Type departmental bulletin paper
Publishers 山口大学人文学部異文化交流研究施設
Date Issued 2020-03-31
File Version Version of Record
Access Rights open access
Relations
[ISSN]1881-9281
[NCID]AA12343112