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山口国文 Volume 47 pp. 15 - 17
published_at 2024-03-01
Creators : Ono Yoshinori Publishers : 山口大学人文学部国語国文学会 Updated At : 2024-04-19 11:58:10
山口国文 Volume 47 pp. 35 - 53
published_at 2024-03-01
Creators : 柚木 靖史 Publishers : 山口大学人文学部国語国文学会 Updated At : 2024-04-19 13:52:01
山口国文 Volume 47 pp. 19 - 33
published_at 2024-03-01
Creators : 勘解由小路 承子 Publishers : 山口大学人文学部国語国文学会 Updated At : 2024-04-19 13:44:23
Journal of East Asian studies Volume 22 pp. 69 - 85
published_at 2024-03-01
関羽は三国時代の蜀の武将であり、勇武忠義の名で歴史に残っている。そして、儒・仏・道の三教から崇拝され、中国で最も広く知られている神だと言っても過言ではない。一方、中国民衆に重要視されている関羽の人物像は、近世日本に伝えられ、近世の文化と融合し、再生された。本稿は近世の関羽像が成立する基礎として、中世の知識人層である禅僧に目を向けた。中世禅僧の代表的な作品『五山文学全集』を中心に、中世禅林における武将と伽藍神としての関羽像の受容を分析した。
Creators : Wang Ziyu Publishers : The graduate school of east asian studies, Yamaguchi university Updated At : 2024-04-15 13:58:02
山口国文 Volume 47 pp. 79 - 90
published_at 2024-03-01
Creators : Ono Yoshinori Publishers : 山口大学人文学部国語国文学会 Updated At : 2024-04-19 14:30:30
山口国文 Volume 47 pp. 106 - 91
published_at 2024-03-01
Creators : Hayashi Shinichi Publishers : 山口大学人文学部国語国文学会 Updated At : 2024-04-19 14:39:28
山口国文 Volume 47 pp. 12 - 14
published_at 2024-03-01
Creators : 二階堂 整 Publishers : 山口大学人文学部国語国文学会 Updated At : 2024-04-15 15:25:41
山口国文 Volume 47 pp. 14 - 15
published_at 2024-03-01
Creators : 田中(石井) 敦子 Publishers : 山口大学人文学部国語国文学会 Updated At : 2024-04-15 17:32:30
山口国文 Volume 47 pp. 9 - 11
published_at 2024-03-01
Creators : 岩野 訓子 Publishers : 山口大学人文学部国語国文学会 Updated At : 2024-04-15 15:17:56
山口国文 Volume 47 pp. 69 - 78
published_at 2024-03-01
Creators : 紀 実歩 Publishers : 山口大学人文学部国語国文学会 Updated At : 2024-04-19 14:21:32
Journal of East Asian studies Volume 22 pp. 47 - 68
published_at 2024-03-01
外国人児童は、日本社会と異なる言語、文化、宗教及び習慣を持つため、日本での日常生活や学校生活において相当な制限を受けることがある。このように制限されることは、外国人児童にとって「社会的障壁」となっている。教育分野では、合理的配慮は障害のある子どもに対する特別支援教育で使われてきた言葉である。しかし、合理的配慮は、身体的・精神的障害だけではなく、文化的・習慣的な違いによって生じる社会的障壁にも使える概念であると本研究では考え、小学校に在籍する外国人児童の分野にも「合理的配慮」の論議を援用できると考えた。 本論文では、まず、公立小学校で、外国人児童が排除される経験の事例、暴力を振るわれた事例、誤解が生じた際の事例などを分析する。次に、分析結果及び合理的配慮の考え方を踏まえて、学校現場で有効と考えられる教員の対応策について考察を行う。その結果、①合理的配慮という論議を援用することで、これまでの「教師の裁量に任せる」という状態から、より個々の外国人児童に対応するアプローチの重要性について明らかにし、②外国人児童に対して合理的配慮を提供することには、不均衡な状況を是正し、公正な環境を促進できることを示し、③外国人児童に対する「合理的配慮」には、限界があることの確認ができた。異なる文化背景を持つ児童に対して、包容的なアプローチを取ることが教育の質を向上させる鍵である。
Creators : Zhao Shujuan Publishers : The graduate school of east asian studies, Yamaguchi university Updated At : 2024-04-15 13:49:39
Journal of East Asian studies Volume 22 pp. 87 - 109
published_at 2024-03-01
本稿は,日本語の二者自然会話における共同的発話現象の一つである「引き継ぎ」現象に焦点を当てている。引き継ぎ現象は,話者Aが開始した発話が,話者Bの発話によって統語的に継続される言語現象である。本稿では,単文レベルを対象に,様々なパターンの会話データを挙げるとともに,引き継ぎの生起と話者交替場所に現れる挿入要素との関係を究明した。その結果,挿入要素が特定の順序で現れ,その生起位置に対称性が存在することが明らかになった。また,この挿入要素の対称性が,引き継ぎ現象を起こしやすくしている要因となっていることも示唆した。
Creators : Nguyen Thi Ha Publishers : The graduate school of east asian studies, Yamaguchi university Updated At : 2024-04-15 14:08:17
Yamaguchi daigaku bungakukaishi Volume 74 pp. 61 - 84
published_at 2024-03-21
Creators : Kuwahata Yoichiro Updated At : 2024-04-30 10:58:22
Yamaguchi daigaku bungakukaishi Volume 74 pp. 13 - 27
published_at 2024-03-21
Creators : Ito Tatsuya Updated At : 2024-04-30 10:01:23
Yamaguchi daigaku bungakukaishi Volume 74 pp. 99 - 135
published_at 2024-03-21
Creators : Sarashina Shinichi Updated At : 2024-04-30 11:26:18
Yamaguchi daigaku bungakukaishi Volume 74 pp. 1 - 12
published_at 2024-03-21
Creators : Negayama Toru Updated At : 2024-04-30 09:49:59
Yamaguchi daigaku bungakukaishi Volume 74
published_at 2024-03-21
Updated At : 2024-04-30 09:43:21
Yamaguchi daigaku bungakukaishi Volume 74 pp. 85 - 98
published_at 2024-03-21
Creators : Hayashi Shinichi Updated At : 2024-04-30 11:07:49
Yamaguchi daigaku bungakukaishi Volume 74 pp. 137 - 137
published_at 2024-03-21
Updated At : 2024-04-30 11:45:43
Yamaguchi daigaku bungakukaishi Volume 74 pp. 1 - 33
published_at 2024-03-21
Creators : Alam Djumali Updated At : 2024-04-30 10:23:45
Yamaguchi daigaku bungakukaishi Volume 74 pp. 35 - 60
published_at 2024-03-21
Creators : Takahashi Masahito Updated At : 2024-04-30 10:37:51
The philosophical studies of Yamaguchi University Volume 31 pp. 1 - 20
published_at 2024-03-23
 山本常朝は『葉隠』おいて、「奉公之至極之忠節」は「主ニ諫言して国家を治る事」である、と述べた。奉公人の主君に対する究極の「忠節」は、なぜ「諫言」だったのか。常朝が求めた「諫言」のあるべきあり方に着眼することにより、『葉隠』における忠誠の倫理の内実に迫ることが、本稿の目的である。  常朝の説く理想の諫言は、第三者に主君の欠点を知らせないための「潜(ひそか)」なものであるべきだったと同時に、当の主君にもそれが「諫言」であると顕わに意識させない、「和の道、熟談」によるべきものだった。そこには、主君のありようを是非ともその本来的な姿へと導き正す、という強い目的意識に貫かれながらも、それを凌駕するほどの信念をもって、様々な欠点を抜きがたく抱えた現前の主君にどこまでも「御味方」しようとする姿勢が、認められる。他方、これに対置されるのは、諫言の客観的妥当性を憚らずに振りかざすことで、結果的には主君の悪名とひきかえに我が身の「忠節」ぶりを示すことにしかならない、広い意味における「理詰」の諫言である。そこにひそむ、現前の主君を置き去りにした我意や慢心を、常朝は深く嫌悪した。  つまるところ、諫言において示されるべき奉公人の究極的な忠誠には、徹底した自己否定・自己消却の姿勢が求められた。それは、当の働きかけを結果的にあえなく咎められ、切腹という形で命ぜられる、肉体的な「死」に対する覚悟としても、貫かれたものだと言える。ところが『葉隠』には、一見してそれとは鋭く矛盾する、鍋島という無二の「御家」「国家」を己れ一人で支えるのだという「大高慢」を、奉公の根底に求める教えもあった。  「奉公之至極之忠節」たる諫言において、両者はいかにして接合されたのか。これは『葉隠』に即して、また同時代の諸思想との比較や連関において、今後も追究されるべき課題である。なぜならそれは最終的に、自分にとってかけがえないこの他者に対する真の忠誠、あるいは誠実さがどうあるべきかという、人としての倫理を衝く問いに、連なっていくはずの探究だからである。
Creators : Kurihara Go Publishers : 山口大学哲学研究会 Updated At : 2024-04-23 13:54:44
The philosophical studies of Yamaguchi University Volume 31 pp. 27 - 36
published_at 2024-03-23
In this paper I will consider <discontinuité> as a positive element of the Bergsonian notion of <durée>. Since his maiden book, Time and Free Will (1889), Henri Bergson (1859-1941) defines time as <durée>, which means uninterrupted continuity of the past, the present and the future. In opposition to Bergson, Gaston Bachelard (1884-1962), who begins to speculate on time in the 1930s, takes time to be essentially discontinuous. According to Bachelard, it is not continuous <durée> but discontinuous <instant> that does give birth to something new, and this is why he criticizes Bergson. In my opinion, however, at least in the 1930s, Bergson himself tries to reconsider <durée> not only to be continuous but also to be discontinuous.
Creators : Murakami Ryu Publishers : 山口大学哲学研究会 Updated At : 2024-04-24 16:26:12
The philosophical studies of Yamaguchi University Volume 31
published_at 2024-03-23
Publishers : 山口大学哲学研究会 Updated At : 2024-04-24 10:04:41
The philosophical studies of Yamaguchi University Volume 31 pp. 1 - 25
published_at 2024-03-23
 本稿の目的は、釈迦仏出現を成り立たせた因果について、『今昔物語集』天竺部仏伝が示す理解の実態を明らかにすることにある。釈迦仏の背負う因果として、一つには、元来衆生であった存在が仏となった所以に対する問いが、もう一つには、釈迦仏という個別的存在者がまさにそのような個別的存在者であった所以に対する問いが、追究されていると考えられる。  はじめに巻第五「仏前」巻に収められる諸説話についてその内容を概観する(第一節)。その上で、まず釈迦仏の本生譚を明示的本生譚と非明示的本生譚に分け、それぞれの内容の特徴を確認する。前者については、布施の修行ならびに捨身の重視という傾向を、後者については、一介の衆生として世俗にうずもれ過ごした前生をそのまま──釈迦仏の前生と明かすことなく──提示しようとする傾向を確認することができる。次いで、修行の中でもとくに重視される捨身の布施(身施)の意味について、釈迦仏が自らと他者との多生にわたる関係性を語った他巻所収説話も手がかりに考える。布施において前生の釈迦仏は、衆生といったん出会い、かりそめの救済をもたらしつつ、成道後の再会・教化・根源的救済を誓う。畜生など知に乏しい衆生を相手に確実に縁を結ぶための手立てとして布施が選ばれたと考えられる。一切衆生を現実に救済しうる釈迦仏の力能は、ひとりひとりの衆生とそのつど直接的に出会い、縁を結んだ布施行の集積により根拠づけられる(第二節)。個別的存在者としての釈迦仏の所以をめぐる問いについては、『今昔物語集』天竺部仏伝が現生の釈迦仏を語る際、釈迦仏とその親族との関係性をたびたび主題化している点に着目する。親族の中でもとくに父母との関係性をめぐっては、父母への孝養のために前生の釈迦仏が捨身の布施を行ずる本生譚があり、釈迦仏とその父母との相互に恩愛深い関係性が前生以来のものであることを示している。他方、妻との関係性をめぐっては、現生の夫婦生活における妻の不満とその原因を羅睺羅出家譚が窺わせているが、本生譚においても、釈迦仏が世俗の生活者であった前生に、自らの至らなさゆえに妻を恨ませたことが語られ、現生の不仲には前生以来の因もからむことが明かされる。釈迦仏が背負う因果への問いを通じて『今昔物語集』天竺部仏伝は、優れた人ではあったが決して完全無欠ではなく、私たちにも近しい"一人のひと"であった釈迦仏のありようを語っている(第三節)。
Creators : Kashiwaki Yasuko Publishers : 山口大学哲学研究会 Updated At : 2024-04-24 16:04:46