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Elementary school textbooks on the Japanese language

Bulletin of the Faculty of Education, Yamaguchi University Volume 28 Page 193-205
published_at 1978
Title
小学国語教科書論
Elementary school textbooks on the Japanese language
Creators Shigeoka Toru
Source Identifiers
本論における考察の対象は,最近の小学校で採用されている国語教科書のうち,いわゆる<文学教材>,それもある明確な思想的核を有する作品に限られる。それらの思想的核を抽出し,分類し,解析する作業を通じて,現代の情況の苛烈さ,そしてその苛烈な情況に対応せざるをえない児童・教師および権力の姿勢がおのずと浮きぼりになれば,それで本論の目的は達せられる。したがって本論は,<教材研究>のうち,<構成研究>および<素材研究>とは若干の交叉をもつが,<指導研究>とはほとんど無関係ということになるであろうし,それに,<素材研究>といっても,かならずしもトータルな作品論を目的とするものではないことをことわっておきたい。次に,作品から思想的核を抽出し,分類し,解析するにさいして,窮極的には個と共同体という,古くて新しい軸を本論では中心に設定している。これはなにも筆者が恣意的に選択した軸ではなく,教科書中の個々のすぐれた作品が,現代の情況のなかでもつ思想的意味を追尋してゆく過程において,必然的に導きだされたものである。昔(といっても戦後)の教科書においては,もちろん諸々の傾向を有する作品が並んでいることはいうまでもないが,綜じて個のエゴイスティックな,恣意的な欲求を封じこめることにより共同体の存続が(結果的にしろ-ということはつまり,あらわなかたちでは書かれていないにせよ)維持される,といったパターンの作品が多数を占める。それは悪くいえば,道徳臭のつよい教訓譚であり,その程度の教訓譚で事がすんでいた古き良き牧歌時代を髣髴させる。たとえば,昭和29年度版の教科書に採用されている「星野君の二塁打」(1)をみてみよう。監督のバントの命令をふりきって二塁打を放った星野君は,味方に勝利をもたらしたが,統制違反ということで監督から大会出場を禁じられる,というストーリイの作品である。監督の論理は,「きめたことには,絶対に服従してもらわなければならない」のであり,「野球は………協同の精神を養うためのもの」であり,「ぎせいの精神のわからない人間は,社会へ出たって,社会を益することはできない」ということである。ただこの作品においては,対象が小学生の高学年であることを考慮してであろうが,若干の工夫がこらされている。つまり星野君が私的な怨念をふっきって監督の論理を受けいれることが男らしい態度である,というふうに称揚されている。個の恣意性を封殺することによってかろうじて成立する共同体があり,その共同体に服従することが男らしい態度だという論理に,当時の児童がよく教育されたかどうかは
Subjects
教育・教育学 ( Other)
Languages jpn
Resource Type departmental bulletin paper
Publishers 山口大学教育学部
Date Issued 1978
File Version Not Applicable (or Unknown)
Access Rights metadata only access
Relations
[ISSN]0286-0597
[NCID]AN00240238
Schools 教育学部