The philosophical studies of Yamaguchi University

山口大学哲学研究会

PISSN : 0919-357X

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The philosophical studies of Yamaguchi University Volume 31
published_at 2024-03-23

Karmic actions and results of buddha sakya-muni in the Indian section (Tenjiku-bu) of Konjaku monogatari-shū

『今昔物語集』天竺部における釈迦仏の因果
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哲学研究-第31巻-003.pdf
 本稿の目的は、釈迦仏出現を成り立たせた因果について、『今昔物語集』天竺部仏伝が示す理解の実態を明らかにすることにある。釈迦仏の背負う因果として、一つには、元来衆生であった存在が仏となった所以に対する問いが、もう一つには、釈迦仏という個別的存在者がまさにそのような個別的存在者であった所以に対する問いが、追究されていると考えられる。
 はじめに巻第五「仏前」巻に収められる諸説話についてその内容を概観する(第一節)。その上で、まず釈迦仏の本生譚を明示的本生譚と非明示的本生譚に分け、それぞれの内容の特徴を確認する。前者については、布施の修行ならびに捨身の重視という傾向を、後者については、一介の衆生として世俗にうずもれ過ごした前生をそのまま──釈迦仏の前生と明かすことなく──提示しようとする傾向を確認することができる。次いで、修行の中でもとくに重視される捨身の布施(身施)の意味について、釈迦仏が自らと他者との多生にわたる関係性を語った他巻所収説話も手がかりに考える。布施において前生の釈迦仏は、衆生といったん出会い、かりそめの救済をもたらしつつ、成道後の再会・教化・根源的救済を誓う。畜生など知に乏しい衆生を相手に確実に縁を結ぶための手立てとして布施が選ばれたと考えられる。一切衆生を現実に救済しうる釈迦仏の力能は、ひとりひとりの衆生とそのつど直接的に出会い、縁を結んだ布施行の集積により根拠づけられる(第二節)。個別的存在者としての釈迦仏の所以をめぐる問いについては、『今昔物語集』天竺部仏伝が現生の釈迦仏を語る際、釈迦仏とその親族との関係性をたびたび主題化している点に着目する。親族の中でもとくに父母との関係性をめぐっては、父母への孝養のために前生の釈迦仏が捨身の布施を行ずる本生譚があり、釈迦仏とその父母との相互に恩愛深い関係性が前生以来のものであることを示している。他方、妻との関係性をめぐっては、現生の夫婦生活における妻の不満とその原因を羅睺羅出家譚が窺わせているが、本生譚においても、釈迦仏が世俗の生活者であった前生に、自らの至らなさゆえに妻を恨ませたことが語られ、現生の不仲には前生以来の因もからむことが明かされる。釈迦仏が背負う因果への問いを通じて『今昔物語集』天竺部仏伝は、優れた人ではあったが決して完全無欠ではなく、私たちにも近しい"一人のひと"であった釈迦仏のありようを語っている(第三節)。