The philosophical studies of Yamaguchi University

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The philosophical studies of Yamaguchi University Volume 2
published_at 1993

Uber die Moglichkeit des hypothetischen Imperativs, ein Gesetz zu sein.

仮言命法は法則ではあり得ないか
Endo Toru
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1.2 MB
C070002000002.pdf
Descriptions
仮言命法が法則である可能性、更には道徳法則である可能性を問うことを通して、カントの倫理学の基礎づけを根本から問う。 カントは定言命法のみが法則―言うまでもなく道徳法則―であり得ると述べ、それを踏まえて、普遍法則たり得る格率を命ずる定言命ほうの基本定式を導き出す。定言命法のみが法則、ひいては道徳法則であり得るとの考えが彼に倫理学の基礎づけを専ら形式的規定の道を通して行なうことを可能にしたのである。従ってもしもこの前提が崩れれば、彼の道徳形而上学の基礎づけは根本から修正を迫られるであろう。ところで定言命法のみが法則であるとの主張は果たして正しいか。 まず、仮言命法はその成立が任意の目的の意欲に依存するが故に本質的に偶然的で、法則であり得ないと、カントのように、必ず言い切れるか、疑問を投げかけ(一)、定言法、仮言命法の条件性、無条件性に関するペイトンの指摘にも目を留めることによってこの疑問を深化させる(二)。カントが仮言命法が法則であることを否定する理由を仮言命法を構成する二つの契機の即して検討することを通して、最終的にカントの仮言命法は法則でありえないとの前提を否定する(三、四)。続いてこの否定が彼の論理学の基礎づけにどのような改変を迫るはずであるかを探る。仮言命法が単に法則であることよりも、むしろ道徳法則であることが彼の基礎づけに根本からの改変を促すはずであることを見届けて、仮言命法が道徳法則である可能性を問う。仮言命法が法則である場合にも「義務から」従うことは可能であることを明らかにすることによって、仮言命法は道徳法則であり得ないとのカントの基本主張を斥け、こうして問題は根に達する。基礎づけは徹底的改変が予想されると共に(五)、格率の自然法則化を具体例で吟味するカントの手続きに含まれる矛盾の指摘によって論考が強化される(六)。