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フルテキストURLC070027000001.pdf ( 1.1MB ) 公開日 2020-04-17
タイトル『葉隠』「聞書第一」第二項における死 : 「喧嘩打返」の理想形に即して
タイトルヨミハガクレ キキガキ ダイイチ ダイニコウ ニオケル シ : ケンカ ウチカエシ ノ リソウケイ ニ ソクシテ
タイトル別表記Death in "Hagakure" (Art. 2, Vol. 1) : Founded on the ideal form of "Kenka-Uchikaeshi"
作成者栗原, 剛
作成者ヨミクリハラ, ゴウ
作成者別表記Kurihara, Go
作成者所属山口大学教育学部
内容記述(抄録等)本稿は、日本近世の代表的武士道書『葉隠』において、その思想を凝縮したものとみなされてきた「聞書第一」第二項を取りあげ、そこに示された、鍋島武士にとって理想的な戦闘と死のあり方について、考察するものである。当該箇所における想定によると、武士がいざ戦闘に踏み出すか否かを問われる局面(「喧嘩打返」、すなわち私闘と報復がその事例とされる)においては。そそぐべき恥辱こそあるものの、今斬りかかって実際に勝てるという目算もなければ、そもそも今勝負すること自体がもつ大局的な意義のありかも、定かであるとは言えない。しかし武士たる者は、戦闘に対する勝算も評価も度外視し、一刻も早く、決然と刀を抜いて戦うべきだ、とされる。そこにおいて覚悟された死は、敵に斬り殺された場合にも実現し、したがって「腰ぬけ」という評価を免れるが、仮に勝利した場合であっても、切腹というかたちで実現されるべきであった。しかもそれは処罰として与えられる切腹ではなく、勝利の直後にみずから敢行されるものであってはじめて、「恥」なきものとされたのである。自身が必ず死ななければ終わらないということが覚悟され、それが遂行されもした戦闘の相手とは、現実に相対する敵でもありながら、つまるところは、すでに巨大な秩序のもとにある、当世という時代であったとも、捉えられるのではないか。以上のように、理想の鍋島武士による戦闘と死は︑異様な過激さを有しているが、他方で「聞書第一」第二項においては、同じ死の覚悟によってこそ、家職に従事する平時の奉公もまた、「恥」なきものとして全うされるのだ、と説かれていた。そこには、大きな矛盾の存在が予想される。有事および平時を貫く武士の覚悟と実践のありようを究明すべく、その矛盾の深さに目を向けていくことが、今後の課題である。
本文言語jpn
資料タイプtext
ファイル形式application/pdf
出版者山口大学哲学研究会
出版者ヨミヤマグチ ダイガク テツガク ケンキュウカイ
NII資料タイプ紀要論文
ISSN0919-357X
NCIDAN10403441
学内刊行物(紀要等)山口大学哲学研究
掲載誌名山口大学哲学研究
掲載誌名別表記The philosophical studies of Yamaguchi University
27
開始ページ1
終了ページ16
発行日2020-03-26
著者版/出版社版出版社版
リポジトリIDC070027000001
地域区分山口大学
URIhttp://www.lib.yamaguchi-u.ac.jp/yunoca/handle/C070027000001